座敷童が去りし後
先生が亡くなった。
どのような状況で亡くなったのかは、わからない。
戦闘中の流れ弾に貫かれてしまったのか、怪我をしている生徒を庇って瓦礫の飲まれてしまったのか、はたまたシャーレの権力をよく思わない者の差金で暗殺されたのか。
しかし、たった一つ確定していることは。
先生は———私の最愛の人は、もうこの世にはいないということだ。
「先生……」
自分のものとは思えないか細い声で、呟く。
“どうしたの?ショウコ?”
“もしかして……また落ち度ポイント溜まっちゃった?”
いつもなら、私の耳を悦ばせる声でそう返ってくるはずのやまびこは。
私の頭の中でしか響かないこだまとしてしか、もう存在しえない。
「先生っ……!!!」
普段出すことのないような絶叫も。
「先生ぇ……!!!」
涙の混じる、悲痛な嗚咽声も。
「…………せんせい」
すべて思い人に届くことはなく、儚く消えていく。
「…………」
なぜ、なぜ、なぜ。
なぜ彼がああならねばなかったのか。
———凶弾に貫かれた彼の姿を識る。
どうして、どうして、どうして。
どうして誰も彼を守ってくれなかったのか。
———拷問で痛めつけられ、そのまま絶命した彼の姿を識る。
想定(けんさく)は止まらない。
現実(かいとう)は理解できない。
———瓦礫で潰された彼の姿を識る。
———爆弾で吹き飛ばされた彼の姿を識る。
———砂漠で遺体として放棄された彼の姿を識る。
なぜ、なんで、どうして。
彼は、先生は、生徒のために、頑張っていただけなのに。あんなふうに、心半ばでで、惨たらしく、殺されるなんて。あんな、あんなに善い人が、あのようなことになる筋合いもないはずなのに———。
“……責任は、私が負うからね”
———『終わった』後も、安らぎを得ることのなかった彼の姿を識る。
「せき、にん……?」
責任。そう、責任だ。
彼の行動には、常に誰かの責任があった。
彼は、『先生』だ。
生徒のためならば、例え自分の時間を削ってでも生徒の力になろうとするお人好しだ。
どんなに邪で自分勝手な計画を企ててようとも、シャーレの権力を利用としようとしていても、相手が生徒であるならば、彼は真摯に向き合おうとするだろう。
そんな彼の行動にやきもきしながら、私は何故、と問いかけたことがある。どうして貴方がそこまで頑張るのですか、関係があるわけでもない貴方が、そこまでする必要も義務もないでしょう、と。
先生は、困ったような顔を浮かべながら。
それでも、譲れないのだという信念を込めて。
“子どもが行った行動に対して、責任を持つ”
“それが、『大人』の責任だからね”
そう、呟いた。
「ああ、そうか。」
神秘が夢散する。
恐怖が顕現する。
子どもが、責任を取れない存在だというのなら。
子どもが行った行動に対して、最終的な責任を負うことが大人の責任というのなら。
その責任の結果、その大人が殺されるというのなら。
「先生は、子ども(わたしたち)に殺されたんだ。」
子どもが、愚かな子どもであるゆえに。
大人が、善なる大人であったゆえに。
———子ども(わたしたち)が、大人(せんせい)を完膚なきまでに食い潰したのです。
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先生の訃報に嘆くキヴォトス。
多くの生徒の心象をうつすような曇り空。
連邦生徒会は先生の死亡を理由に連邦捜査部S.C.H.A.L.E、通称シャーレの解体を発表。
連邦生徒会は、多くの生徒からの批判を浴びながらも、シャーレ専属の事務員の協力のもとシャーレの解体を進める。
そうして、来たる某日。
しきりに雨が降りしきるなか、その事件は起こる。
連邦生徒会、襲撃。
サンクトゥムタワー、崩壊。
連邦生徒会は機能停止。
サンクトゥムタワーによる行政執行権の執行も不可能。これにより学園都市における統一意志決定機関は、その機能を完全に停止。
そして、サンクトゥムタワーの崩壊に巻き込まれ、当時の連邦生徒会、その主要メンバーの一番を含む多くの生徒が犠牲となる。
当時、サンクトゥムタワーにてシャーレの解体作業をしていたシャーレ専属事務員、能見ショウコも死亡したとされている。
後の「キヴォトス大内乱」の発端となったこの事件。一説には、あの『災厄の狐』が犯人なのではないかとされているが、真実は定かではない。
「ねぇ先生。私、言いましたよね。」
———そうして
シャーレに御坐す座敷童は、キヴォトスの表舞台から去り。
「座敷童が去った家は衰退する、って。」
誰も知らぬ間に、『災厄』と化した。